メンタルのこと人生観

「普通の幸せ」が全然羨ましくない話【勝ち組友人と無職の自分】

花嫁のイラスト

無職になって早くも2ヶ月が経ちました。

無職になってからはブログを立ち上げたり、趣味や勉強、断捨離に没頭したりと、ゆるいけれど充実した日々を送っています。

私はミニマリストになりさらには仕事も手放してから、「幸せ」についてものすごく考えるようになりました。

あかね
あかね

というか“自分なりの幸せ“を追求した結果無職になっていました…

先日、高校からの友人がマイホームを建てたので家にお邪魔してきたんですが、そのときに感じたことをお話ししたいと思います。

“勝ち組な友人”と”幸せのレールから外れた自分”

お宅訪問した友人のプロフィールはというと、

  • 大学卒業後、地元で公務員として就職
  • 旦那さんも同じく公務員の共働きパワーカップル
  • 子ども2人の母
  • マイホーム、マイカー購入済み(🏠は35年ローン)

地方だとこれが“ザ・幸せな人生のロールモデル“って感じじゃないですか?

公務員共働きで安定した収入も社会的地位もある。

子ども2人を大学まで行かせるのに十分な財力はあるだろうし、素敵なマイホームもあるし、正直どこに出しても恥ずかしくない人生ですよね。

あかね
あかね

独身実家暮らし無職の自分との落差よ…

この子の親からしたら、自分の子として完璧すぎる人生です。

地元で就職してくれて、旦那さんも公務員で、実家の近くに家を建ててくれて、さらには孫の顔まで見せてくれる…

正直、私の親に対する申し訳なさが少し加速しました(笑)

以前の私だったら、自分の惨めな状況と友人の人生を比べてかなり落ち込んでいたと思いますが、今はそうでもありません。

あかね
あかね

「自分、結構幸せなんじゃない?」とすら思います。

「幸せのレール」から外れた自分の人生も悪くない

友人宅を訪問して、正直無職の自分との圧倒的“差“を見せつけられました。

  • 市中心部からのアクセスのいい広い家…
  • 洗練されたおしゃれなインテリア…
  • 最新のハイテク家電たち…
  • 仕事のできる将来有望な旦那さんと可愛い子どもたち…

これらを一つも持っていない自分は「かなり“普通“からずれているんだな」と改めて実感しましたが、「まぁそんな自分の人生も悪くないかな」と思えるようになりました

ミニマリストになって他人と比較しなくなった

以前の私なら、

  • 自分には彼氏すらいないのに、友人は結婚して子どもまでいる…
  • 自分にはないマイホームもマイカーもある…
  • 公務員としての安定した収入もある…

と友人のことを羨んでいたでしょう。

今はそう感じないのは、ミニマリストになったことで“自分にないもの”から”あるもの”にフォーカスできるようになったからです。

  • 私にはやりたいことも、それをやる時間も十分にある…
  • 毎日出社しなくていい自由もある…
  • これから素敵な人に出会える可能性も無限にある…!

以前の私だったら感じていたであろう劣等感はほぼなくなりました

ミニマリストになって他人と比べなくなりましたし、他人目線ではなく自分目線で幸せを考えるようになりました。

他人目線の幸せに価値なんてありませんし、そんなものを維持するために大変な思いをして働く必要はありません。

(友人は友人で幸せそうですし、人それぞれ違った形の幸せがあっていいと思っています。決して友人をディスっているわけではありません!)

幸せを測るものさしはみんな違っていい

友人の生活を見て、これが世間の言う“正しい幸せ”なのかなと思いました。

世間のお手本のような幸せを目の当たりにしました。

でもよくよく考えたら“正しい”って一体何なんですかね?

みんな個性がバラバラだから幸せの形だって違っていいはずなのに、世間で一般的とされる”幸せ”の定義がなぜか存在する

勤務先、収入、結婚、子ども、マイホーム…

これらは客観的に見てわかりやすいので、“幸せを測るものさし“になってしまうんですよね。

あかね
あかね

何に幸せを感じるかは人によって違うのに…

↑このマツコさんの言葉にめちゃくちゃ共感しました。

他人の目線に縛られず、自分目線の幸せを重視して生きていくことができれば真の意味で幸せになれる気がします。

こちらの記事もどうぞ→【関連】幸せになるためにすべきたった一つのこと

他人の目線を全く気にしないのは難しい

とは言え、私も他人の目を全く気にしないことはできません。
自分の今の生活に満足はしていますが、友人の生活と自分を少しだけ比べてはしまいました。

それでもやっぱり、他人からどう思われようと好きに生きたほうが満足度が高いと感じます。

他人の目線を完全に排除することって難しいんですよね。
人間は社会的生物なので、社会の中での自分の立ち位置を気にするのは本能です。
相対評価はどうしてもしてしまいます。

でも、それを認識しているだけで全然違うと思います。

「私は今他人の目線を気にしてしまっているけど、まぁ人間だから仕方ないわな〜」

こんなふうに自分のことを俯瞰して見られると、自分目線の幸せにフォーカスし直すことができます

「普通の幸せ」を追い求めることのリスク【対価が大きすぎる】

大手企業や公務員のような人から感心されるような仕事に就いて、家庭を築き、人から感心されるような素敵なマイホームを持つ。
この生活を維持するには莫大なお金がかかります。
“人から感心される素晴らしい人生“の対価は“一生の労働“です。

“人から感心される人生””嫌な労働のない人生“を天秤にかけたところ、「人からどう思われようと自分の好きに生きたほうが満足度が高い」と私は感じました。

私はいわゆる“普通の人生“から外れてしまったから俯瞰して見れるのかもしれません。

友人宅には、

  • 高そうなおしゃれな家具
  • 大迫力で映画を楽しめるプロジェクター
  • 大画面のテレビ
  • 天井まで届く本棚にぎっしり詰まった本
  • ルンバや空気清浄機などの最新の家電

など、他人が羨むようなものがたくさん置いてありました。
豊かな現代社会の恩恵を受けまくっていますね(笑)

しかし「果たしてそんなにものは必要かな?」とも思ってしまいました。
(友人はミニマリストではないですし友人自身の価値観もありますので、お金の使い方に私が口を出すべきではもちろんありません!)

豊かな暮らしを享受できるのはいいけど、その対価として一生嫌な仕事を続けないといけないのであれば、それは私にとっては幸福度が低い生活です。
自分が好きな仕事でそれだけの生活を維持できるならいいですが、仕事にやりがいを感じられないのであれば苦痛だし、生活を維持することにプレッシャーを感じてしまいます。

そう思うと、「私は友人ほど多くのものを持ってはいないけど、今のままでも結構幸せだな」と感じました。

無職だけど、毎日ブログ書いてイラスト描いて英語も勉強できていたらまぁまぁ幸せです。

(再度言いますが、友人は友人で幸せそうですし、人それぞれ違った形の幸せがあっていいと思っています。決して友人をディスっているわけではありません!)

まとめ

友人の姿は、私が公務員を辞めていなかったら自分にもあり得たかも知れない未来です。

公務員で夫婦共働き。子ども2人の育児に追われる。膨大な生活費のために週5で働く。生活のために興味の持てない仕事を定年まで続ける…

友人はとても幸せそうにしていたので、それは素晴らしいことだと思います。
本人が満足していれば他人である私がとやかく言う必要はありません。

しかし私には過剰すぎる、持ちすぎるライフスタイルだなと感じました。

持ち物も出費も少なく、労働さえもミニマルな生活が、私にとっては身軽で心地よいと感じます。

結婚、子ども、収入…
どうしても世間ではこういった項目で幸せを測ってしまいがちですが、全ての人の幸せににこれらが必要とは限りません。

幸せの形は人それぞれ。
これからも他人の目線に振り回されず、自分なりの幸せな人生を歩んでいきたいです。

あかね
あかね

ここまでお読みいただきありがとうございました!

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